十五夜の日のひとりめし


今日は十五夜、いわゆる「中秋の名月」の日である。
年ごとに日付の変わる祝祭日を“移動祝祭日”と云うが、さしずめこの十五夜も、そのうちのひとつと云えるだろう。
この日の名月を愉しむ風習は、平安時代頃に中国から伝わったようで、平安貴族の間では、観月の宴や、舟遊びで歌を詠み、宴を催したようである。
舟遊びと云っても、ただ単に舟を出して歌を詠み、宴を催しただけでなく、舟中から水面に揺れる月を観て楽しむ、と、云った趣向であったらしい。
彼らは、直接に月を愛でるわけではなく、杯や池に月を映して、その風情を楽しんでいたらしい。さすがに日本の趣向は、雅にして風流なものである。
しかしそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。
十五夜の日に、雲などで月が隠れて見えないことを「無月(むげつ)」と云い、雨が降ることを「雨月(うげつ)」と呼んで、月が見えないながらもなんとなくほの明るい風情を賞するものとされるらしいが、わたいの食卓には、名月も無月も雨月もない。

いたって無風流な食卓である。

 

献立:トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ(小2本)

どうも豚肉の味噌漬け2枚では、足りないようである。
やはりもう2~3枚、焼いておけばよかった。
もっとも、弁当箱の容量もあることだから、そうそう何枚も入れる訳にはいかないが……。
胃袋をはじめとするわたいの消化器系器官にも、容量の限界と云うものは、当然あるハズなのだが、だれも信じてくれない。わたい自身、時々信じられなくなるくらいだから、他人が信じてくれないのも、無理からぬことではあるが……。

 

献立:麦飯(しそかつおにんにく)、豚肉の味噌漬け(2枚)、小松菜と油揚げの煮浸し

豚肉の味噌漬けの味がイマイチだった理由が解った……ような気がする。
みそ床に味醂じゃなく、醤油を入れていたようだ。ならば、味噌醤油味になるか、と、云うと、そう単純にいかないところが、料理の面白いところである。
冷奴にかつお節がかかってないのは、昨日で切れたからである。青葱もない。謂わば、プレーン冷奴、で、ある。
今夜は十五夜だが、芒も団子も里芋も月見酒もない。まったく無風流な食卓である。

 

献立:玉子麦飯、豚肉味噌漬け(3枚)、野菜サラダ(レタス、キャベツ、胡瓜、トマト、もやし、ニラ…ごまドレッシング)、冷奴、納豆、味付海苔