三木武吉~其の弐

何某と云う評論家が、三木武吉に“妖怪天狗”と云う綽名を奉った。若いときは知らず、老人となってからの三木は、確かにその様な魁偉な容貌をしている。

対して彼の妻・かね子さんは、若い頃には“早稲田小町”とか、“鶴巻小町”と呼ばれた美少女だった。最近では使わないが、“小町”とは世界三大美女のひとり、小野小町のことで、往時は美しい女性に対して、“~小町”とか、“小町娘”などと噂したものである。

かね子さんの父は、早稲田大学の舎監(学生寮の監督)だった。そのため、

「おれはかね子さんがいるから、早稲田にいるんだ」

と、云う学生もいたぐらいである。

そのかね子さんの結婚した相手が、三木武吉である。当時から妖怪天狗のような容貌だったのかどうかは分からないが、少なくとも貧乏だった事は確かなようだ。

かね子さんが三木と交際(つきあ)っていた頃──、

当時三木は早稲田の図書館設立に携わり、館長兼雑務夫として、名士の家を訪ねては書物の寄贈を求めたり、神田や本郷の書店をまわって新刊書や古書を買い集めたりした。そしてそれらの本を、大八車(所謂リヤカー)に積んで運んだりした。

その姿を見て、かね子さんの二人のお姉さんが意見した。

「かねちゃん、あんな男と交際(つきあ)うなんて、どうかしてるんじゃない? あんたほどの器量をしていながら、物好きが過ぎるわよ。わたしのほうが恥ずかしいわ」

「ほんとうよ。あの人が一生大八車を引いていたら、あんた、いったい、どうするつもり?」

そのときかね子さんはニッコリ笑って、

「そしたらわたしは、車の後を押して歩くわ」