野菜の日のひとりめし

今日は“野菜の日”である。「831」で、“や(8)さ(3)い(1)”と云うことで、これは納得しやすい語呂合わせである。

例によって、Wikipediaによると、「野菜のよさを見直してもらおうと、1983年9月に食料品流通改善協会や全国青果物商業協同組合連合会など9団体が制定」したのだそうである。

ご存じのとおり、わたいは野菜好きで、野菜はなにがなんでも、摂取する方針である。特に、ほうれん草や小松菜などの、いわゆる青菜、青野菜が好い。

その野菜が、今夏は「東北の太平洋側と関東を中心に続く日照不足と低温、長雨」の影響により、高値となっている。

一方で、生産元の農家では、出荷量が減って収益が伸びない、と、こちらも大打撃を受けているようである。

短絡すれば、儲けているのは、卸、流通、小売りの各中間業者、と、云うわけであろうか。情けなくも腹立たしいことである。

規格外品でもいいから、生産者(農家)から、直接消費者(わたいたち)に販売してもらえないものだろうか。

そんなことをすれば、卸、流通、小売りなどの各中間業者が打撃を受ける、と、ほざくバカもいるだろうが、生産者や消費者を踏みつけにして利益を貪ってるような奴輩など、存在する必要はないのである。

 

献立:トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ(2本)

さばの塩焼きは、近所のスーパーで買ってきた惣菜である。このスーパーのさばの塩焼きは、脂がのっていて、骨が付いていて、食べ応えがある。

昨今は、総菜や弁当の魚でも、骨無しのが多くなっているが、実に嘆かわしいことである。

小魚のそれは云うに及ばず、焼鮭や焼さばの骨ぐらい噛み砕けないようでは、情けない。それも年老いて、歯や顎がもろくなった御老体や、身体の出来ていない乳幼児ならまだしも、10~40代で骨付きの魚を丸ごと食べられない、と、云うのでは、いったい、どこの坊ちゃん嬢ちゃんか、と、思ってしまう。

骨ごと食べられないのなら、身をはずせばよかろうが、それもできない、と、云うのだから、情けないことこの上ない。それで自分の行儀の悪さを恥じ入りもせず、焼魚に骨がついていれば、その魚を敬遠する、酷いのになると、販売店に文句をつける奴輩がいるのだから、なにをか云わんや、である。人間、なにはなくとも、恥と云うものを失ってはいけない。

 

献立:麦飯(海苔とかつおのふりかけ)、さば塩焼き(2切)、小松菜のわさび和え

以前も記したが、魚も相変わらず、高騰しているようである。

魚より肉のほうが安いのだから、海洋国家日本の面目、いずくにありや、で、ある。

そう云えば、味噌、豆腐、納豆の原材料である大豆なども、国産品はほとんどなく、その大半が外国からの輸入である、と、云う。

しょうもない愛国心など発揚せんでいいから、もっとこう云った、日本独自の食文化あるいは食生活習慣の素晴らしさや、その国産原材料の確保などをこそ、大いに論じ、啓発し、力を注いでもらいたいものである。

 

献立:玉子麦飯、即席みそ汁(豆腐、わかめ、ニラ、もやし、貝割)、アジフライ(2尾)、生野菜サラダ(レタス、キャベツ、胡瓜、トマト…きざみ玉ねぎドレッシング)、冷奴、納豆、味付海苔