11. ガンマンたちの夜

 同じ夜、リーがベッドでうなされています。リーは悶え、苦しみ、ベッドから跳ね起きて、部屋の中をよろめきます。その呻き声を聞きつけて、村を見回っていた二人の村人が入ってきます。

 リーはガンマンたちの中でも、もっとも洒落た身装をしています。口数も少なく、いつも無表情です。

 それは昼間の姿、他に対して、自分に対して自分を装う、偽りの姿でした。

 リーは死の影に怯えています。現在のリーには、かつてのような銃の伎倆はありません。

 どんなに伎倆の優れたガンマンでも、体力の衰えとともに、その銃の伎倆も衰えざるを得ません。リーは自分の伎倆の衰えを認めています。日に何百回となく、怖がるな、と、自分に言い聞かせますが、それで怖れが治まるべくもありません。怯えて気が狂いだすか、自分より早く撃てる男の弾を受けるかを、ただ待つだけの毎日を過ごしています。自分で自分を騙すために、洒落た身装をし、物に動じないかのように無表情を装い、生きている敵はいないと公言します。

 そんな状態に耐え切れず、リーは逃げてきたのです。クリスたち他のガンマンたちとのやりとりでは、敵はいない、生きてる者は、と云いました。それは他に対しても、自分に対しても、自分を偽る虚言でした。生きている敵は、数え切れないほどにいます。リーは、明らかに存在するその敵から逃げてきたのです。

 村を守る仕事なら、クリスをはじめとする仲間たちがいます。しかしそれは、敵から逃れて、戦いのド真ん中にやってきたことでした。その皮肉に気付いて、リーは自嘲の笑みを浮かべます。

 リーは、死の影に怯えながら、その怯えを表すまいと自分を偽っています。そのギャップから生じる緊張が、リーの神経を疲弊させます。その緊張が極限に達し、神経が耐え切れなくなるまでに疲弊したとき、リーは悪い夢に苛まれ、うなされます。

 リーは、疲れきった神経を沈めるかのように、現在の自分の立場を語ります。

 村人たちは最初、リーが、怯えていることを恥じている、と、誤解しました。村人たちは、自分を苦しめないよう云い、あんたは数えきれないほど戦ってきたんだから、勇気があるよ、と、宥めました。リーにとって、村人の云う勇気の有無は問題外です。リーの根本の問題は、その銃の伎倆が衰えてきたこと、それを認めながらも、どうにも対処のしようがないことです。

 リーは、自分の伎倆が衰えてきたことを、事実をもって表します。素早く手を動かして、テーブル上にいた三匹のハエを捕まえようとしますが、捕まえることができたのは、一匹だけです。昔は苦もなく三匹とも捕れたのに、いまでは一匹しか捕まえることができなくなっています。手の動きが鈍っているのです。

 その事実を見せられて、村人たちは言葉を失います。

 銃の伎倆に優れ、多くの戦いを体験して、命のやり取りには慣れきっているものと思っていたガンマンが、実は自分たちと同じ、死を怖れる「生身の人間」であることを知ったのです。

 村人たちは部屋を出しなに振り返り、みんな怖いんだ、それは死ぬまでついて回る、怖くないのは死人だけだ、と、云います。

 生きている以上、怖れの感情から逃れることはできません。怖れの感情から逃れられるのは、怖れを感じる能力を失った人間、死人だけです。村人たちは、自然を相手にした日々の生活の中で、そのことを分かりきったこととして生きています。村人たちにとっては、怖れの感情を抱くことは恥ずかしいことでも命にかかわることでもありません。村人たちは、死の影に対する怖れを当然のこととしたうえで、できるだけ、死を回避しようとしています。

 リーは、怯えて気が狂いだすか、自分より早く撃てる男の弾を受けるかを、ただ待つだけでありながら、自分で自分の命を絶とうとはしません。伎倆の衰えを認め、死の影に怯えながらも、自他に対して虚勢を張り続け、苦悶しながらも生き続けます。それがリーの勇気です。リーは勇気をもって、自分の現在の状況と戦っています。その戦いの疲労が、この夜に爆発したのです。

 

 戸外では、家から出てきた女性が、リコを呼んでいます。

 リコは他の二人の子どもたちとともに、オライリーと一緒にいます。

 子どもたちはオライリーのことを、「ベルナルドおじさん」と呼んでいます。

 子どもたちは、寝たふりをしてまた戻ってこようと、いったん家に引き上げます。

  クリスが家の中から出てきて、「ベルナルドおじさん、子持ちになったな」と、オライリーを調戯います。

 オライリーは、「俺の本名なんだ。メキシコとアイルランドの、つまらん混血だ」と、吐き捨てるように云います。

 アメリカ合衆国は多民族国家です。「人種の坩堝」、「サラダ・ボール」と云われるくらいに、多くの民族・人種から成り立っています。その民族間・人種間には、苛酷な差別が存在しています。

 黒人に対する差別の激しさは有名です。インディアンに対する差別も激しく、この映画の中でも、それが表されていました。

 ほかにも、中国人や日本人などのアジア系、プエリト・リコ人やメキシコ人などの中南米系の人々に対する差別も、よく知られています。

 有色人種のみならず、同じ白人系・欧州系でも、イタリア人に対する差別には激しいものがあり、それが、いわゆる「マフィア」と呼ばれる犯罪者集団が組織された遠因とも云われています。

 そのなかで、あまり知られてはいませんが、アイルランド系の人々に対しても、激しい差別が行われていました※。ジョン・F・ケネディは、ワシントンやリンカーンとともに、史上もっとも有名な合衆国大統領の一人に数えられますが、彼は合衆国史上、初のアイルランド系の大統領であり、アイルランド系であるために、選挙戦では大いに苦労したと伝えられています。

  ※ 映画『アンタッチャブル』でも、アイルランド系の熟練警官マローン(ショー

       ン・コネリー)と、イタリア系の新人警官ストーン(アンディ・ガルシア)と

       のあいだに、この両民族に対する蔑視の感情が描かれています。 

 オライリーが、「メキシコとアイルランドの、つまらん混血だ」と、自嘲するように云うのには、そのような背景があります。

 差別の激しいアメリカ社会の中で、メキシコ人とアイルランド人の混血として生まれたオライリーが、厳しい差別を受けながら、自分の伎倆ひとつでガンマンとしての生活をおくってきたその人生を感じ取ることができます。

 彼は、メキシコ系と察せられるベルナルドと云う本名を捨て、オライリーと名乗っています。メキシコ人とアイルランド人との混血である自分を否定して生きています。

 オライリーは子どもたちに優しく、子どもたちもオライリーを慕っています。

 子どもたちは社会の諸関係に巻き込まれておらず、同じメキシコ系であることもあって、オライリーが混血であろうがなかろうが、気にかけません。差別は、社会関係によって生じます。オライリーも子どもたちに対しては、自分が混血であることを隠す必要を感じていません。オライリーが子どもたちに自分の本名を教えたのは、子どもたちに気心を許していることの表れです。

  

 ガンマンたちの宿舎では、ハリーが村人たちを賭け事に引き込もうとしています。

 ハリーの目的は、あくまでも、金儲けです。金でなくとも、金になるものなら、なんでもいいのです。ハリーは賭け事にかこつけて、村人から金になる話を引き出そうとします。

 ガンマンが大儲けできる仕事にありつく機会は稀になってきています。ハリーは、この村には、その仕事に対する報酬とは別に、なにか大儲けできる機会があると確信しています。そのような機会には滅多にありつけなくなってきただけに、ハリーはなんとしてでもその機会を捉え、大儲けしようと目論んでいます。

 そんなハリーを、ヴィンとブリットが、苦々しげに見ています。ヴィンもブリットも、金儲けには関心がありません。二人は、村を守る本来の仕事よりも、村人たちを利用して大儲けをもくろんでいるハリーに、不快を感じています。

 ハリーの口からでまかせが的中し、この村に、スペイン人が埋めた秘宝があるらしいことが分かります。

 ハリーはクリスと目を合わせます。

 ハリーは、クリスがなにか大儲けのネタをつかんで、この仕事を引き受けたと信じていますが、それはハリーの誤解です。クリスは、ハリーが思い込んでいるような大儲けのネタなど、つかんではいません。

 クリスにとって、ハリーが村人から引き出した秘宝の話は、思っても見なかった話です。クリスも金に無関心ではありません。ハリーがこの仕事に参加したとき、クリスが乗り出したことをもって、大儲けができる仕事に違いないと確信したくらいです。それはハリーの誤解でしたが、ひょんなことで、ハリーの確信が実際のものになろうとしているのです。

 クリスの顔が輝きます。

 しかしその話は、ただの伝説に過ぎませんでした。実際に山奥で宝石が見つかったわけではなく、村人たちもただの風聞としてその話を聞いただけです。村人たちはだれも、実際にその宝石を探し出そうとするほどの関心も示していません。ただの話として、受け止めています。

 ハリーは分からなくなります。村に、大儲けできるなにかがあればこそ、カルヴェラたちはこの村を狙ってくるのだと信じているのです。ハリーには、それ以外に、カルヴェラたちがこの村を狙う理由が考えられません。

 村人は、カルヴェラたちはもう襲ってこない、明日には他所へ行ってしまうと信じきっています。

 そこへチコが入ってきます。