2016年10月

2016年

10月

31日

ハロウィンの日のひとりめし

今日は云わずと知れた、ハロウィンの日である。本来は秋の収穫を祝い、悪霊を追い祓う、古代ケルト人の風習が起源と考えられているお祭りである。キリスト教の行事ではない。
現在の主にアメリカ合衆国では、カボチャの中身をくりぬいて「ジャック・オー・ランタン」を作って飾ったり、子どもたちが魔女やお化けに仮装して近くの家々を訪れ、お菓子をもらったりする行事になっている。
これが日本では、一大仮装(コスプレ)イヴェントの日になっている。
ヴァレンタイン・デーと云い、クリスマスと云い、日本に流入してくると、その本来の意味がまったく消失し、全然ちがうイヴェントになるのだからおもしろい。
まぁ、それはそれでいいのじゃないのだろうか。なにもかも、欧米を追随する必要もない。
そのうちダイエットも、“ラマダン”と、称するようになるかもしれない。
もちろんそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。
カボチャもなければ、お菓子もない。いたって変り映えのしない、いつもの献立である。

 

献立:トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜と果実のジュース、バナナ(2本)

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2016年

10月

28日

アメリカ合衆国大統領あれこれ~エイブラハム・リンカーン Ⅰ

ニュー・ヨーク北部のウェストフィールド村に住んでいたグレース・ベデルと云う女の子は、新しい大統領の写真を見たとき、

 「コワイ顔やなぁ。でも、髭生やしたら、きっとハンサムで、男前になるで」

 と、思った。思っただけではなく、彼女はその意見を手紙で新大統領に伝えた。

 この新大統領はその手紙に対し、「いままで大統領やってて、髭を生やした人はいてまへん。それに、いまからいきなり髭、生やし始めたら、国民は、『アホな大統領や』って、 笑いはせえへんでしょうか?」と、返事を書いた。

 「そんなこと、ありまへん。髭のない大統領のお顔は、コワイんやもん。でも、髭生やしたら、きっとカッコようなりますわ。ウチだけやのうて、友だちもみんな、そない云うてますわ」

 ワシントンでの就任式に臨む日、大統領はウェストフィールドの駅で列車を止め、デッキに出て群衆に声をかけた。

 「この町に、わたしと文通してはる、グレース・ベデルっちゅうお嬢さんがいてはります。もしここにいてはったら、どうぞ、出てきてください」

 彼女が驚きつつ出てくると、大統領は、

 「やぁ、グレースさん」と、やっと生えた顎髭を撫でながら、「あんたの云うとおり、髭生やしてみたで。どや、男前に見えるか?」

 グレースは感激して、

 「よお似合うてはります。それに、あなたはきっと、いちばん立派な大統領になりはりますわ」

 と、叫んだ。

 

彼女の予言は当たった。今日、世界中のすべての人々が、エイブラハム・リンカーン氏を、いちばん立派な米国大統領と認めている。

2016年

10月

28日

徳川慶喜の誕生日のひとりめし

今日は10月28日(旧暦では9月29日)は、徳川江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜の誕生日である。徳川幕府最後の将軍、と、云うことは、日本史上最後の将軍、と、云うことでもある。なお、ここで云う”将軍”と云うのが、“征夷大将軍”であることは、云うまでもなかろう。延暦16年(797年)、坂上田村麻呂が任ぜられて以来、およそ千七十年にも及んだ征夷大将軍の歴史は、彼を以て幕を閉じることになるのである。
長州の桂小五郎をして、“権現様(家康)の再来”と云わしめたほどの人物であったが、時勢には必要とされなかったものとみえる。
徳川江戸幕府の幕を引き、明治維新政府が成立すると、彼の人生も幕を閉じたかのように思われがちだが、じつは大正2年(1913年)の11月まで存命し、76歳の長寿(当時としては)を全うしたのである。
昨日薨去なされた三笠宮崇仁親王殿下がご誕生になる、2年前のことであった。
もちろん、そのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関係もない。
慶喜は晩年、「ケイキさま」と呼ばれて親しまれたそうであるが、ケーキもわたいの食卓には上らない。

献立:トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜と果実のジュース、バナナ(2本)

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2016年

10月

27日

アメリカ合衆国大統領あれこれ~セオドア・ルーズベルト Ⅲ

中学で英語を習っていた頃、どうしてウィリアムの愛称が「ビル」なのか、理解に苦しんだことがある。
おそらく、「ウィリアム」→「ウィル」→「ビル」と、なったのであろう。

ウィリアムはなんとか理解できたが、分からないのは、「セオドア」の愛称である。
セオドアの愛称は、「テッド」、「テディ」である。
これはなぜそうなるのか、理解に苦しんだ。

セオドア・ルーズベルトは狩猟好きだった。あるとき狩りにでかけたが、一頭の獲物も仕留められなかった。
側近が一計を案じた。
一頭の熊を木にくくりつけ、これを仕留めるよう大統領に勧めたのである。
側近としては大統領の激務による憂さ(現代で云うストレス)を晴らすために仕掛けたものだったのだろう。一説によると、その熊は母熊で、幼い仔熊がその乳を求めて擦り寄ってきていたと云う。
大統領は銃を下ろして首を振ると、
「そんな非情なマネはできない。不公正で、恥ずべき行為だ」
と、云って、その熊を逃がすよう命じた。

この話から、現在もなお、世界中で愛されている、“テディ・ベア”と云う熊のぬいぐるみが誕生したのである。

 

今日10月27日は、セオドア・ルーズベルトの誕生日。

2016年

10月

27日

テディベアズ・デーの日のひとりめし

今日は第26代アメリカ合衆国大統領、セオドア・ルーズベルトの誕生日であり、それにちなんで、テディベアズ・デーだそうである。
セオドア・ルーズベルトがテディベアとどんな関係があるかと云うと、当ウェブサイトの「ちょっと一言」→「アメリカ合衆国大統領あれこれ~セオドア・ルーズベルト Ⅲ」をご覧いただきたい。
ちなみに、わたいの食卓に並ぶ献立が、セオドア・ルーズベルトにも、テディベアにも、なんらの関係もないことは、もちろんである。

献立:トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ(2本)

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10月

26日

O.K.牧場の決斗の日のひとりめし

1881年(明治14年)の今日、アメリカ合衆国はアリゾナ州トゥームストーンの町で、史上に残る有名な銃撃戦が起こった。のちにO.K.牧場の決斗として知られることになる、ワイアット・アープたち保安官組と、クラントン一家を中心とするカウボーイズと呼ばれる一組との銃撃戦である。
我らが映ちゃんによれば、この事件はじつに数々の映画に描かれているそうで、なかでも有名なのが、『荒野の決闘』(1946年)、『O.K.牧場の決斗』(1957年)、『トゥームストーン』(1993年)、『ワイアット・アープ』(1994年)の4本だろう、と、云うことである。
もちろん、この銃撃戦と、わたいの食卓を飾る献立とには、なんらの関連もない。
それにしてもO.K.牧場(精確には、“牧場”ではないらしいのだが)へと向かうその日の朝、アープ兄弟やドク・ホリデイたちは、どんな献立の朝食を喫したのだろうか?

 

献立:トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ(2本)

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2016年

10月

25日

世界パスタデーの日のひとりめし

今日は世界パスタデーであるそうな。
パスタなぞ、年に何回も食べない。何年かに1回、食べるか、食べないか、である。第一、“パスタ”などと、気取った云い方がキライである。
スパゲッティ、マカロニ、等々でいいではないか。ペペロンチーノ、カルボナーラ、ボンゴレ、など、料理名を述べればそれですむ。
どうもバブル華やかなりし頃に“パスタ”なる語を憶えたせいか、軽佻浮薄浅薄至極の悪印象がある。パスタ自体に怨みはない。
そんなわけで、わたいの食卓に、パスタは無縁である。
今日もいつもどおり、相も変わらず相変わらずの献立である。

 

献立:トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、野菜ジュース、バナナ(2本)

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2016年

10月

24日

約半月ぶりのひとりめし

お久しぶりです! 帰ってまいりました!?
冗談はさておき、じつに約半月ぶりのひとりめしである。もちろん、その間、複数で食事していたわけではない。なんやかやあって、料理なるものから遠ざかっていたのである。
で、じつに久しぶりに料理ってみると……やはりカンが失われているものと見える。
ほうれん草と白菜のごま和えは水っぽく、しかも砂糖が少なかったようだし、小松菜と厚揚げの煮浸しは、油が多すぎたようだ。心なしか、カボチャの煮物も、味つけが薄いような気がする……。
やはり気を抜いて、手を抜いていると、当たり前のように思っていたものも、失われてしまうものと見える。〝継続は力なり”とは、よく云ったものである。

 

献立:玉子麦飯、インスタント味噌汁(カットわかめ、もやし、ニラ)、ほうれん草と白菜のごま和え、小松菜と厚揚げの煮浸し、カボチャの煮物、納豆、味付海苔

2016年

10月

07日

川柳発祥の日のひとりめし

1757年(宝暦7年)の今日、柄井川柳が「川柳評万句合」を初めて開催した。
川柳と云えば、最近は「サラリーマン川柳」通称サラ川が有名で人気があるようである。
ワビのサビの風流のとやかましくなく、肩が凝らず気軽に愉しめ、軽妙洒脱、ときに寸鉄人を刺し、ときに苦き笑いを誘う。現代流に云うと、“江戸期のサブ・カル(チャー)”と、云っても、過言ではあるまい。
現在世界を席巻している“クール・ジャパン”、“サブ・カルチャー”は、なんと江戸時代から、その魂を育まれていたのである!
日本らしい高雅で伝統のある娯楽(サブ・カルチャー)として、大いに隆盛してもらいたいものである。
もちろんそのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。
 “神無月 彼女も無しに ひとりめし”

 

献立:トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、バナナ(2本)

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2016年

10月

06日

ガルマ・ザビ国葬の日のひとりめし

U.C.0079年の今日、ギレン・ザビによる大演説が、地球圏全域に放送された。
サイド3の首都ズム・シティにて開催されたガルマ・ザビの国葬に際しての追悼演説であったが、その内実は、国民の戦意を高揚せんがための、アジ演説であった。

 

「なぜガルマは死んだのか!?」

 

「……ボウヤだからさ」

 

このセリフ、いくたび繰り返し、繰り返し、つぶやいてきたことか。
また、あらゆる媒体で、何度引用されてきたことか。
懐かしき名セリフ、である。
もちろん、ギレンの大演説も、ガルマの国葬も、わたいの食卓に並ぶ献立には、なんらの関連もない。
トマト・ジュースがなくなっているのを忘れていた。

 

「なぜトマト・ジュースはなくなったのか!?」

「……飲んだからさ」

 

献立:トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、バナナ(2本)

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2016年

10月

05日

レモンの日のひとりめし

1938年(昭和13年)の今日、詩人高村光太郎氏の妻智恵子さんが亡くなった。
亡くなる数時間前に、彼女がレモンをかじった情景を詠んだ歌「レモン哀歌」は、詩集『智恵子抄』のなかでも、白眉の出来である。昔は国語の教科書にも掲載され、わたいの大好きな詩の一編でもあった。と、云うより、これほどの悲しみと、愛情と、美しさに満ちた詩は、時の古今、洋の東西をあまねく捜し求めても、滅多に見出せるものではない。この「レモン哀歌」と「樹下の二人」だけでも、『智恵子抄』を読む価値はある。
もちろん、そのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関連もない。
レモンもないし、レモンに関連した飲食物──塩麹レモンだとか、レモン・ティーすら、ない。
相変わらずの献立である。

 

献立:トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、トマト・ジュース、バナナ(2本)

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2016年

10月

04日

大隅良典氏、ノーベル生理学医学賞受賞の翌日のひとりめし

昨日、本2016年のノーベル生理学医学賞が、東京工業大学名誉教授の大隅良典氏に授与されることが発表された。大隅氏の受賞によって、3年連続で日本人がノーベル賞を受賞すると云う偉業が達成された。ちなみに授賞理由は、「『オートファジー』のメカニズムの解明」によるそうだ。(for his discoveries of mechanisms for autophagy.)
なんのことやらサッパリ解らないが、なんにしても、めでたいことには違いない。
日本人の、日本での研究成果が、世界中で評価される、と、云うのは、嬉しいことである。これに、「日本人が認めた」と云う形容がつくと、なお嬉しい。
恥をさらすようだが、わたいはこれまで、氏のお名前も、したがって、その研究についても、なんら知るところがなかった。
それが氏がノーベル賞を受賞なされた途端、あたかも知人であるかのごとく、これを喜び、もてはやすのだから、我ながら、軽薄と云おうか、ミーハーと云おうか、いささか忸怩たる思いなきにしもあらず、で、ある。
ちなみに、日本では、「医学生理学賞」と表記するが、精確には「生理学医学賞(Nobel Prize in Physiology or Medicine)」である。
もちろん、そのことと、わたいの食卓に並ぶ献立とには、なんらの関係もない。
バナナが2本に増えたのは、氏の受賞を祝してのことではなく、単にいつもの店で、いつもの値段(100円)で、いつもの倍買えた、と、云うだけのことである。

 

献立:トースト(6枚切り×2枚)、半熟卵(2個)、プレーン・ヨーグルト、トマト・ジュース、バナナ(2本)

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2016年

10月

03日

東西ドイツ再統一の日のひとりめし

1990年の今日10月3日、第二次大戦後、東西に分裂していたドイツが再統一された。あれからもう26年もの歳月が流れた。ベルリンの壁が崩れ、東西のドイツの統一が成ったときには、他国のことながら、大いに喜び、祝福したものである。
あの頃は、まさか生きている間に、ベルリンの壁が崩れ、東西ドイツが統一され、ソビエト社会主義共和国連邦が崩壊し、自民党と社会党の連立政権が発足するなどとは、夢にも思わなかったものである。
“事実は小説よりも奇なり”とは、使い古された言葉であるが、この言葉の真実味を身に沁みて感じたことは、この頃を置いて他にはない。
まさしく事実は、どんなSF作家の想像をも遙かに超えて、現象して見せたのである。
もちろん、そのことと、わたいの食卓を飾る献立とには、なんらの関連もない。
どんな貧困な想像力の持ち主でも、容易に想像できるであろうような、献立である。

 

献立:玉子麦飯、野菜サラダ(レタス、キャベツ、胡瓜、トマト、もやし、ニラ…イタリアンドレッシング)、カボチャの煮物、冷奴、ぬた、納豆、味付海苔